ダウト★★★★☆

劇場で見逃してから、DVDが一番待ち遠しかった作品「ダウト」。
ろんもちレンタル開始当日に鑑賞。寝不足を押して2回。
演技・脚本・劇伴・映像どれを取っても高水準で期待通りの傑作だ。

ダウト ~あるカトリック学校で~ [Blu-ray]ダウト ~あるカトリック学校で~ [Blu-ray]
(2009/08/19)
メリル・ストリープフィリップ・シーモア・ホフマン

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舞台作品の映画化である。
しかも舞台版の脚本家が映画版の監督・脚本も行うという異例のケースだ。
“良い脚本家=良い監督”ではないというのが通説だと思うが、これだけ評判の映画になったのは監督の多才によるところだろう。

(映画の)舞台になるのは60年代初頭のとあるカトリック学校。
先進的な神父(ホフマン)と厳格な校長(ストリープ)の緊迫感ある論争を、まだ若いシスター・ジェイムズ(エイミー・アダムス)の視点を中心に描く。

物語は、シスター・ジェイムズが自身の生徒である黒人の少年と神父の間に“不適切な関係”があったのではないかと疑惑を抱いたことに始まる。
校長であり、かつ誰よりも厳格である校長シスター・アロイシアスは、確たる証拠がないにも関わらず、かつてより抱いていた神父への疑いを確信に変えていく。
緊迫感溢れる論争の末、神父の弁解は合点のいくものではあるが、白か黒かを判断できるものではなかった。神父に対してはもはや“信じる心”を持ち合わせない校長は、容赦なく神父の断罪を迫る。

序盤、この映画は表面的に“神父は白か黒か”というミステリーライクな印象が強い。疑惑の感情を丁寧に表現した劇伴も、歴代の傑作ミステリーを思わせる。
しかしその本質は神父が映画冒頭で行った説教“疑い(ダウト)が存在したとき、どうするべきか”という極めて重いテーマである。
ここでいう“疑い”とは何か、ということについては本作の中でも様々な捉え方がされているので、是非映画を観て感じてほしい。

「神の意を達成するためには、神より遠ざかる方法でさえ厭わない。」
強い意志を持って語るシスター・アロイアスを演じるはメリル・ストリープ。
彼女らしい配役ではあるが、厳格な校長のオーラを見事に再現した。数々の主演女優賞受賞も納得。

対する神父役のホフマンもその変態っぷりをいかんなく発揮。
持ち味である複雑な人間性表現が今回もぶち抜けていたと思う。
知的な論述を演じさせたら並ぶ俳優も少ないと思うが、今回の説教、論争も素晴らしい出来栄え。表面も内面も演じられるハイパー俳優です。

配役でめっけもんだったのは次の2人。
エイミー・アダムスとヴィオラ・デイビスだ。

エイミー・アダムスは例のディズニー映画「魔法にかけられて」の女の子。
個人的には“品のない、近代ディズニーらしいクソ映画”という位置づけのタイトルだっただけに、この子の評価も同じく埋もれてしまっていた。
しかしどうだろうか。彼女がシスター・ジェイムズを通して表現した純粋さの愛おしいのなんの!
(思えば、「魔法にかけられて」はディズニーがディズニーであることを疑った映画であり、なんとも皮肉な共通点だったりする。)

ヴィオラ・デイビスは黒人少年の母親役として登場する。
彼女の登場は神父VS校長というスタンスだった物語の進行に“神の鉄槌”を喰らわすかのように、非常に重要なものだ。
彼女が演じた母親の強さは、その配役の重さに十二分に値するものだった。

見所は他にもある。
元々舞台だっただけに骨太な台詞の応酬が非常に面白い。
一つ一つの印象的な台詞に俳優の細かな仕草が加わり、登場人物を奥深く観察することができる。う?む。これは舞台脚本家の才能からくる相乗効果なのかも。


確信できるものがないとき、それでも信念のもとに厳しい決断をしなければならなかったとき、その決断の不確実さが、信念を裏切ることになりはしないか。

短い上映時間で濃密な映画を楽しませていただいた。
限りなく★5つに近い、★4つ。
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