初恋の想い出★★★☆☆
ヴィッキー・チャオ主演の切ない青春映画「初恋の想い出」。
原題は「情人結」となっており、これはあちらで言うバレンタインデーを意味する言葉の最後の文字をもじったものであると言う。つまるところ、バレンタインデーに誰かが結ばれるのか、と言う話のような気がするのだが、それだと妙に邦題と合わない。果たしてその真相は・・・
幼馴染のチー・ランとホウ・ジアは互いに惹かれあう中であったが、あるときを境に両親がそれを好ましく思わないようになる。両親達が頑なに交際を拒否する理由はなんなのか。あまりの理不尽に納得がいかない2人は、ロミオとジュリエットを自分達と重ね合わせるようになる。
時を経てもいっこうに態度を変えようとしない両親。ホウ・ジアは心機一転留学の身となり、チー・ランとの苦しい日々をなんとか和らげようとする。遠く離れた2人でも、事前に交わしていた言葉「何も言わないと言うことは、何も(愛情が)変わらないということ」によって強く結ばれていた。
ホウ・ジアが留学先から帰っても、2人を取り巻く環境に変化は無いように見えた。しかしチー・ランの父親が癌であることが発覚すると同時に、お互いの両親にまつわる確執が洗い出され、昇華されるのである。
それなら2人はすぐ結婚か?って、そう簡単に人の心は整理できない。
チー・ランは自分の頑固な態度が父親を追い詰めたのだと、自責の念に捕らわれるようになる。ホウ・ジアも留学による隙間を埋めることができておらず、そんなチー・ランを諭すことができない。
結局、2人は一緒になる事も出来ず、孤独な日々を始めてしまう。
そして映画はラストシーンに流れ込む。
しばらく時がたった後、2人はドレスショップで偶然の再開を果たす。
カフェで話し込む2人。ホウ・ジアは「結婚しよう。しあわせにする。」と告白する。
その後意味深に場面が切り替わり、結婚写真を撮っている2人の様子を観る事になる。
そしてこの写真撮影の様子がおかしい。チー・ランにもホウ・ジアにも喜びの笑みが見えず、涙を浮かべてしまっている。どこか悲しげな表情の2人を写したまま、映画はエンドロールに突入する。最後のテロップは
「その年の2月14日に、結婚写真は撮られた」
というものだ。
果たしてこの映画はハッピーエンドの物語なのか。
ざっくりとみれば、結婚して終わったように見えなくも無いし、原題から推測すればそれが妥当である。
でも、そんな映画だったのであろうか。僕は釈然としない。その流れではこの物語は成立していないと思う。
写真撮影に際して、2人は10代のころを回想している。
もっと辛く、印象にも残っているはずの苦しい日々ではなく、なんの疑いも無く相思相愛であったころの2人だ。
あの頃に比べ、2人はあまりにも宿命染みたものを背負ってしまっている。変わらない情熱も、2人の関係をあまりにも重くしすぎてしまった。
2人はこの結婚写真を撮ることで、お互いの初恋を想い出としたのではあるまいか。決意として。
そう考えると邦題は誤っていないどころか、物語の本質をリードする名題とも言えよう。
御歳30を越えるヴィッキー・チャオが10代から30代までをこなしている。正直年齢毎の演技分けがうまいかというとちょっと辛いところがあるが、それにしても可愛い。正直観てるのが面倒になるくらいじれったい映画であるが、常にヴィッキー・チャオがスクリーンに映ってくれていることで救われる。
彼女にはハッピーエンドで終わってほしい。そう思う観客のこころを巧みに翻弄したラストであったと思う。
原題は「情人結」となっており、これはあちらで言うバレンタインデーを意味する言葉の最後の文字をもじったものであると言う。つまるところ、バレンタインデーに誰かが結ばれるのか、と言う話のような気がするのだが、それだと妙に邦題と合わない。果たしてその真相は・・・
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幼馴染のチー・ランとホウ・ジアは互いに惹かれあう中であったが、あるときを境に両親がそれを好ましく思わないようになる。両親達が頑なに交際を拒否する理由はなんなのか。あまりの理不尽に納得がいかない2人は、ロミオとジュリエットを自分達と重ね合わせるようになる。
時を経てもいっこうに態度を変えようとしない両親。ホウ・ジアは心機一転留学の身となり、チー・ランとの苦しい日々をなんとか和らげようとする。遠く離れた2人でも、事前に交わしていた言葉「何も言わないと言うことは、何も(愛情が)変わらないということ」によって強く結ばれていた。
ホウ・ジアが留学先から帰っても、2人を取り巻く環境に変化は無いように見えた。しかしチー・ランの父親が癌であることが発覚すると同時に、お互いの両親にまつわる確執が洗い出され、昇華されるのである。
それなら2人はすぐ結婚か?って、そう簡単に人の心は整理できない。
チー・ランは自分の頑固な態度が父親を追い詰めたのだと、自責の念に捕らわれるようになる。ホウ・ジアも留学による隙間を埋めることができておらず、そんなチー・ランを諭すことができない。
結局、2人は一緒になる事も出来ず、孤独な日々を始めてしまう。
そして映画はラストシーンに流れ込む。
しばらく時がたった後、2人はドレスショップで偶然の再開を果たす。
カフェで話し込む2人。ホウ・ジアは「結婚しよう。しあわせにする。」と告白する。
その後意味深に場面が切り替わり、結婚写真を撮っている2人の様子を観る事になる。
そしてこの写真撮影の様子がおかしい。チー・ランにもホウ・ジアにも喜びの笑みが見えず、涙を浮かべてしまっている。どこか悲しげな表情の2人を写したまま、映画はエンドロールに突入する。最後のテロップは
「その年の2月14日に、結婚写真は撮られた」
というものだ。
果たしてこの映画はハッピーエンドの物語なのか。
ざっくりとみれば、結婚して終わったように見えなくも無いし、原題から推測すればそれが妥当である。
でも、そんな映画だったのであろうか。僕は釈然としない。その流れではこの物語は成立していないと思う。
写真撮影に際して、2人は10代のころを回想している。
もっと辛く、印象にも残っているはずの苦しい日々ではなく、なんの疑いも無く相思相愛であったころの2人だ。
あの頃に比べ、2人はあまりにも宿命染みたものを背負ってしまっている。変わらない情熱も、2人の関係をあまりにも重くしすぎてしまった。
2人はこの結婚写真を撮ることで、お互いの初恋を想い出としたのではあるまいか。決意として。
そう考えると邦題は誤っていないどころか、物語の本質をリードする名題とも言えよう。
御歳30を越えるヴィッキー・チャオが10代から30代までをこなしている。正直年齢毎の演技分けがうまいかというとちょっと辛いところがあるが、それにしても可愛い。正直観てるのが面倒になるくらいじれったい映画であるが、常にヴィッキー・チャオがスクリーンに映ってくれていることで救われる。
彼女にはハッピーエンドで終わってほしい。そう思う観客のこころを巧みに翻弄したラストであったと思う。
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